~生き残った特攻隊より~

2024.05 F100(1620×1303㎜)
【伝えなくちゃいけないんだ】
今回の絵は、生き残った特攻隊の方から
歌い継いでほしいと託された歌詞を絵にしました。
歌詞の全文がこちら。
鳴呼沖縄
一 昔し戦がありまして 沖縄が戦場になりました
足手まといになってはと 島人達が集まって
自分で生命(いのち)をたちました
慶良間の島に咲く花は 真っ赤にしたたる血の香り
海に舞う鳥白い鳥 悲しい声でなにうたう
二 小島から戦い目指して 泳ぐ兵士がありました
その数 100か200もが 本島は遠く果てしなく
挙手で海に消えました
海の底に咲く花は 花つむ野辺の珊瑚花
海に舞う鳥白い鳥 悲しい声でなにうたう
三 山を裂き地を切りさいて 海を埋める敵艦でした
その数 千とも二千とも 島は隠れ閉ざされて
「特攻(はやて)」も藻屑と散りました
海を漂う儚い花 消えては浮かぶ波の花よ
海に舞う鳥白い鳥 悲しい声でなにうたう
四 15の少年兵達は 銃弾担いで這いずりました
上官の命ずるままに 爆雷背負って戦車にもぐり
自分の生命も散りました
島の谷間に咲く花は 車輪にからんで巻く野バラ
海に舞う鳥白い鳥 悲しい声でなにうたう
五 17の乙女は強制で 洞院の花娘となりました
傷病に体をかし、心を尽くし 兵の涙を知りまして
揃って自爆で行きました
島の山野に咲く花は 白い心の姫百合の花
海に舞う鳥白い鳥 悲しい声でなにうたう
歌詞 藤木相元

藤木相元先生は、観相学の第一人者で、
昔「笑っていいとも!」にもレギュラーで出演し、
お茶の間でも大人気にもなった方です。
若い頃面接で、松下幸之助に「君は運が良いか?」と
聞かれて、迷わず
「はい!特攻艇で3回出撃して、生きて帰ってきました。
とても強運です!」と言って、松下さんに気に入られ、
ドイツに留学もして、松下電器で製品開発もしていたそう。
そんな先生の米寿のお祝いに唄を唄いに行った際、
大変喜んでくださり、ご自身の戦争体験をお話してくださり、
この歌を私に託されたのです。
先生がCD化もしてくれました。
歌詞を簡単に解説すると
1番は、慶良間の集団自決のこと
家族が自分の手で家族を殺す地獄

2番は、戦うために本島の兵隊と合流するべく、
慶良間から本島を目指して泳ぐ兵隊たち。
その距離40キロ、次々と力尽きて海へ沈んで行く。
たどり着いたのは100人中13人にだった。
そんな沈んでいく時でさえ敬礼をしていたという。

3番は海を埋め尽くすほどの敵艦の中へ空からは特攻隊・・・
海上からは特攻艇で、若者の命が散っていった。

4番は、爆雷を背負って戦車に突っ込んで行った少年兵のこと。

5番は、看護隊になった乙女たちのこと。


島の赤い花は 流れた血
白い鳥が その悲しみを唄う
言葉では言い尽くせない地獄絵巻を
目の当たりにした藤木先生だからこその歌詞。
この歌を託されたのは13年前、
藤木先生も10年前に91歳でお亡くなりになられた。
人前で唄ったことがないまま時が流れてしまった。
世界情勢が危うくなってきた昨今、
この歌を、先生の思いをちゃんと伝えて行かなくては!
という思いが沸々と湧いて来た。
でも、内容が内容なだけに、どう絵にしていいのか悩む日々。
悩んでてもしょうがないので、沖縄に行くことにした。
改めて平和記念資料館へ行き勉強し直し、
佐喜真美術館で丸木ご夫妻の「戦争の図」を見て、
昔、映画会社に居て、戦争証言を記録撮影していたことも思い出した。
怒りと虚しさが込み上げてきた。
なぜ優秀な若者たちや多くの民間人が
死ななければならなかったのか?
それは教育の怖さ。
「生きて虜囚の辱を受けず」
捕虜になるくらいなら死ねと教えられ
集団自決を強要され、
自分の手で家族を殺さなければならなかったこと。
お国のために命を捨てろと、自爆テロで、
命が消耗品のように扱われたこと。
今なら、とてもおかしなことを言ってるのが
分かるのに、戦禍では、それが当たり前になっていた。
もし私も、そんな時代を生きていたのなら、
国のためじゃなくても家族を守るためにと思ったら、
命を捨てていたかもしれない。加害者になるかもしれない。
トップの在り方で、世の中は変わる。恐ろしい。
だから、もしも有事が起きた時
「戦争は絶対反対」と言える人たちが
一人でも多く居ること。
なんとなくじゃなくて、強く思わなくてはいけないと思うんだ。
大和と沖縄では、そんな認識にも
大きな隔たりがあると思う。
2001年にアメリカで起きた同時多発テロの時、
大和の人は、対岸の火事ぐらいに思っていた気がする。
沖縄はその頃、大和からの修学旅行生たちが
沖縄行きを軒並み中止していた。
それは、基地があるから危険との理由で。
はて?
いつやも攻撃されるかもしれない沖縄に、
私たちは住んでますけど~~(怒)。
沖縄にとっては、こちら側の岸で起こっていること。
少しでいいんです。知ってほしいだけ。
沖縄では、頭上を戦闘機が飛んでいて、
戦争に行く訓練をしている人たちが居て、
そこから戦場に向かう人たちが居て、
戦争が以外と近くにあるということを。
生きて帰って来れないと思った兵隊たちは
悲惨な事件も起こした。
いえ、この20年でさえ、アメリカの現役・退役軍人は、
戦死者の4倍もの人がPTSDに苦しみ、自殺をしているという。
戦争は誰も幸せにしない。
平和は当たり前じゃないんだ。
慰霊の日と終戦記念日は、とても大切な日。
来年で終戦から80年、
戦禍を生き抜いた語り部たちが減って行くことに
焦りを感じる、今度は私たちが伝えなくてはいけない。
私は光栄にも唄を唄わせて頂いているので、
6月〜8月は、楽しい沖縄だけじゃなく、
必ず沖縄戦の話から平和についてのお話もする。
私たちが今笑っていられるのは、
戦禍を生き抜いたご先祖さまのお陰。
悲惨な事実を伝え、忘れないこと。
1年に一度は、平和について考えること。
隣の人、隣の国の人へも思いやりを持つこと。
許すこと、寛容になること。
「戦争は二度としてはいけない」と、
みんなが強く思うことが大事なんだと、「今」だから切に思う。
画面の左半分は、海の美しさを!
右上は星空の美しさを表し、
下半分は地獄絵巻を対比させて構成にした。
夢と希望に満ちた若者が、力尽きて海に沈みゆくさま。
この美しい海と空は、今も昔も変わらず美しくて、
この島で起こった事実を決して忘れてはならない。
2024.6.12~24に国立新美術館で行われた
「たぶろう展」で秀作賞を頂きました。
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